日本の製造業が世界で圧倒的な競争力を持った時代は1980年代から1990年代前半であろう。その時代に急激な成長をしていくなかで、新しい製品カテゴリーが生まれ、それらを大量に生産するための新しい工場が建設された。当時一線で活躍していた人材を1985年に40歳だと仮定すると、20年後の2005年には60歳となり定年を迎えている、35歳だと仮定しても2010年には60歳となる。この10年の日本の製造業では

  • 新しいカテゴリーの製品を世界に先駆け世の中に出していく
  • ネットワークが普及した時代における新しい管理形態を作り上げていく

といった活動があまり目に留まらなくなっている。どちらかと言えば、今までの延長で“さらに精度をあげていく”、“機能を増やしていく”といったアプローチでの事業活動が多いのではないだろうか。

色々な会社の方々と話をしていると(自社の顧客というわけではなく、様々な場でお会いする方々)20年前に比べて、生産管理に対する知識や見識、新しい製品を世の中に出していくことに関する事業欲や思いといったものを感じることが少なくなった。自分自身が社会の中でベテランの年齢に近づいたことも理由の一つではあると思うが、この違和感に対して納得できなかったのだが、ふと気が付いたのが冒頭に述べた世代交代である。

よく考えてみると今現在、一線で活躍している30代や、会社の方向をリードしている50代の人材は自分自身で何かを生み出してきたという経験をほぼ持たない世代なのだ。先人が作った会社の仕組みや、製品カテゴリーの中でそれらをうまくハンドリングしていくことで会社に評価されてきた世代である。何事も同じであるが、ゼロから何かを作りだす能力と、すでにあるものに対して改善を加える能力を比べた場合には大きな差がある。改善ができるからと言ってゼロか同じものを作れるのか?というと殆どの場合、作れると思っていたとしてもうまくいかない。

アメリカにおいては、新しい産業を新しい世代の人たちが自分たちで作りだしていく、それが社会全体として活力を生み出している、一方日本においては人材の殆どが大企業に入る、結果として本来新しいことを生み出していくはずの活力が違うところで消費されてしまう。もちろん、10年、20年前に比べると大企業に入らず起業したり、ベンチャーに入社する人材も増えてはきているが、それでも社会全体が大企業志向であるがために、それらベンチャーにおいてもいくらよいものを作りだしても社会が許容してくれないという日本固有の環境が邪魔をする。

話がそれたが、要は今の大企業には“改善”はできるが“事業開発”や“仕組み改革”を経験してきたような人材が殆ど存在しておらず、それが日本の製造業の世界の中での地位低下を招いている一因ではないだろうか?という思いに至ったわけである。もちろん、全ての大企業、全ての社員にあてはまるわけではないが確率的には結構高いのではないだろうか。すぐに問題が片付くような話ではないが、トップマネジメントは10年、20年先を見据えて自社にいない人材の育成に即座に取り組むことが自社が存続していくことにとって重要である。